Interview
赤岩善生選手
インタビュー
今年のボートレース蒲郡は70周年のメモリアルイヤー。
当コーナーでは、名勝負の数々を
ウイナー達と共に振り返ります。
第1回目は地元の闘将・赤岩善生選手です。
57周年(2012年)は2コースから大嶋一也元選手のイン戦を差し切り、前年の東海地区選手権に続く蒲郡GⅠVを飾りました。
赤岩優勝した喜びよりも、大嶋さんのことばかりを覚えています。あんな大嶋さんを見たことがなかったです。
GⅠ蒲郡57周年 優勝戦結果はこちら具体的にどんな感じだったのでしょうか!?
赤岩レース後に「すみませんでした」とあいさつをしに行ったのですが、あんなに悔しがっていた大嶋さんは見たことがなかったので…。大嶋さんからしたらオレなんかに負けるとは思わなかったんじゃないかな。
赤岩さんはその時点でSGやGⅠを獲っていましたし「オレなんか」ってことはなかったと思いますよ。
赤岩大嶋さんとは直接の師弟ってことはなかったけど、本当にかわいがってもらっていたから…。ただ、自分も2年前(68周年)は地元の1号艇で負けたし、同じぐらい悔しい思いを味わいました。あの時は展示に行った時に「やばい。回り過ぎだ」と調整を失敗したのを覚えています。2マークで差し返したけど、(吉田)拡郎の方が足は良かったですからね。
GⅠ蒲郡68周年 優勝戦結果はこちら
赤岩選手は常日頃から「勝った時より負けた時の方が明確に覚えている」とのこと。優勝した57周年のことを掘り下げようと尋ねましたが「う~ん、自分のことはあまり覚えてないなぁ」と話すばかりでした。
ただ、敗れた68周年のことについては、次第に口調が熱を帯び「あの時の悔しさは忘れない。自分は反骨精神の塊なので、勝って晴らさないといけないと思っています。それに今年はメモリアル(の蒲郡代表)も外された訳ですし、結果を出して見返したいです」と意気込みを話していました。闘志を前面に押し出した走りは必見です。
Interview
平本真之選手
インタビュー
2回目の今回は地元の平本真之選手です。
来春、当地で開催されるSGボートレースクラシックの
権利を
持っていないだけに、当周年への
意気込みは相当です。
66周年(2021年)は、湯川浩司選手や石野貴之選手と得点率トップの座を争い、見事に競り勝ってポールポジションからVゴールを果たしました。
平本あの時は(池田)浩二さんがフライング休みで不在でしたから、強い気持ちで臨みました。
GⅠ蒲郡66周年 優勝戦結果はこちら蒲郡は通算28優出7V。SGは3優出、GⅠは5優出1Vです。
平本GⅠを5回も優出していましたっけ?! SGで優出したイメージの方が強いです。あっ、ボートレースダービー(2023年)以外でですけどね(笑い)。
蒲郡のSGといえば、来春には当地でボートレースクラシックが開催されます。
平本そうなんですよ。まだ、権利を獲れていないですし、フライング休みもありますから追い込まれています(苦笑い)。
10月の蒲郡周年が一番の勝負になりそうですね。
平本初日のゴールデンレーサードリーム戦にも選んでもらっていますし、気持ちは入りますね。(クラシックの権利取りは)蒲郡の周年記念が一番チャンスがあると思っています。
8月のSGボートレースメモリアル(若松)では2日目に痛恨のスリットオーバー。「(賞金ランキング面で)相当、追い込んで行ったので空回りしてしまいました」と反省をしていました。
9月1日現在で今年の優勝は当地3月の一般戦のみ。11月9日から30日間のフライング休みに入るため、ここから一般戦が5節以上あっせんされる可能性がなくなりました。ということは、GⅡ以上を勝つしかありません。当地の70周年記念以外にも気合の入った走りに注目です。
Interview
瓜生正義選手
インタビュー
3回目の今回は瓜生正義選手です。
SG11冠、GⅠ22Vの金字塔を打ち立て、
当地でもGⅠ56周年記念を優勝しています。
蒲郡周年は2001年のGⅠ46周年からナイターで実施されていますけれど、瓜生選手は唯一、昼間のGⅠを優勝されていますよね。
瓜生えっ、ナイターじゃなかったでしたっけ!? 蒲郡でGⅠを勝ったことは覚えていますけど、昼間だったかは覚えていないです(苦笑い)
GⅠ蒲郡56周年 優勝戦結果はこちら※2011年当時撮影
GⅠ56周年記念の行われた2011年は、3月11日に東日本大震災が発生して、しばらくはどこのレース場も開催が中止になりました。その後、新年度になって(電力を最小限にしか使わない)昼間のレースとして再開しました。
瓜生あ~、そうでしたっけ。そういえば、約1カ月振りのレースだったこともあって、ボートがカラカラだったのを覚えています。昼間なのに回転がすごく上がっていました。
そんな状況でも見事に仕上げて同期の原田幸哉選手とのワン・ツーでした。
瓜生それも覚えていないです(笑い)
日本モーターボート選手会会長を務めながらSG・GⅠ戦線でも活躍する現役レーサー。そんな瓜生選手は「ボートレース業界や選手会の活動で、回り回って支援することができればと思っています」と社会貢献活動にも力を入れています。
真夏のSGボートレースメモリアル(若松)では、得点率トップ通過から優勝戦の1号艇をゲット。選手会長のSG優勝か!? と話題を集めましたが、惜しくも銀メダルでした。
10月の蒲郡GⅠ70周年は「ゴールデンレーサードリーム戦」の6号艇でエントリー。SGボートレースメモリアル同様に初日に好戦して突っ走りたいところです。
Interview
正木聖賢選手
インタビュー
4回目の今回は正木聖賢選手です。蒲郡周年史上、
最もエキサイティングだったGⅠ51年周年記念を
見事に優勝。
今も語り継がれる伝説のレースを
解説していただきました。
優勝されたGⅠ51周年記念を振り返っていただけないでしょうか。
正木あの節はエンジンが抜群でオニ足でした。スタートもつかめていたし、乗りっぷりも良かったので自信はありました。ひとつだけ不安だったのは進入でした。
当時のルールでは、スタート展示で6コースへ行った選手は、本番レースでインコースには入れませんでした。正木さんは1号艇でしたが、スタート展示で6コースに出されてしまいました。どんな心境でしたか?
正木6コースに出されることは想定していました。ただ、準優勝戦の夜は全く眠れませんでした。何パターンも考えていて…。眠れたのは朝の6時でした。
結果として優勝された訳ですし、成果はありましたね。
正木そうですね。スタート展示で6コースに出されても戸惑うことはなかったです。ただ、僕のインがなくなったことで(2号艇だった森高)一真が鬼のような形相になっていました。
4号艇には出足型でピット離れのいい上瀧和則さんもいました。
正木これはイン競りになるなと。その横(3コース)が一番いい位置になるから、そこからまくるレースを考えていました。
実際に壮絶なイン競りが発生。上瀧さんが回り直して6コース、そして正木さんの一つ内には新美恵一さんが入りました。
正木実は上瀧さんがスタート展示後に後輩選手に「200mからは何秒で起こすのか!?」と聞いていたのが聞こえてきたのです。だから動揺することはなかったですけど、新美さんは想定外でした。
新美さんも“一番いい位置”を狙っていたのですね。
正木ええ、新美さんは一番エンジンが出ている僕をマークすると思っていましたけれど、新美さんは当日の整備でエンジンが良くなっていたんです。
レースは2コースの新美さんが3コースの正木さんを制して先まくりを敢行しました。
正木新美さんは一か八かのレースをする選手ではありません。エンジンが良くなっていたからこそ、僕の内側から勝負することを選んだと思います。
正木さんは3コースからの差しを選択しましたが、2マーク以降は全速ツケマイを連発。4度目(3周1マーク)で決着しました。
正木ずっとやっていたら転覆や振り込むことがあるかもしれない。少しの波でもハネたりしますからね。でも「ここは1着しかないっ」と思って握り続けました。優勝して多くの方から祝福されたことが嬉しかったです。辻(栄蔵)さんや(原田)幸哉さんからは「おめでとう」や「カッコ良かったよ」と言ってもらったのを覚えています。
GⅠ蒲郡51周年 優勝戦結果はこちら
もう後記はいらないでしょう(笑)。それだけ、正木さんが熱く話してくださいました。
改めてレースを見てみるとすさまじいですね。あんなイン競りはSGやGⅠの優勝戦で見たことがありませんし、道中も“地元の意地VS超抜エンジン”の首位争いも見どころ満載でした。このレースを見て磯部誠選手がレーサーを目指したのもうなずけます。
最後に正木さんは「僕はあの節しかなかったけど、SGやGⅠをたくさん獲る人は、あの時の状態を何度も作っているんだろうなぁ。すごいですよね」とSG戦士をリスペクトしていました。
Interview
池田浩二選手
インタビュー
最後は地元のエース・池田浩二選手です。
8月の当地お盆シリーズでは
通算100Vを飾り、
当地はGⅠ47周年記念を手始めに2020年、
2024年の東海地区選手権を制覇しています。
蒲郡の周年記念は何度も走られてきましたが、一番印象に残っているレースは2002年に優勝したGⅠ47周年でしょうか!?
池田そうですね。GⅠで最初に優勝したレースでしたからね。しかも3コースからだったでしょ!?確か2号艇で。
はい、そうです。当日は南東からの風が5mと強く、左横風と追い風が混じっていました。そんな水面コンディションの中、1マークは思い切ったツケマイでインの辻栄蔵選手を置き去りにしました。
池田はっきり言ってレースのことはあんまり覚えていないけど、あの当時はまだコース取りが厳しい時代だったので…。あの優勝が(その後の)きっかけになったことは確かだね。
2002年下半期の躍進はすごかったですよね。
池田あれからトントン拍子で賞金王(SGグランプリ)へ行けたし、あの優勝はデカかったです。
GⅠ蒲郡47周年 優勝戦結果はこちら
デビューから4年8カ月でGⅠを優勝。あふれんばかりの才能で手にした勲章と思われがちですが、記念戦線を走り始めた当初は予選落ちの連続でした。
改めて当時の成績を振り返ると、GⅠ初出場となった1999年1月の新鋭王座決定戦(住之江)から当地・蒲郡でGⅠ初Vを飾るまでの3年半の間、SGとGⅠに16節参戦して予選を突破したのはわずか1回(2000年びわこ新鋭王座決定戦)のみでした。
ところが、GⅠ初Vを飾ってからは、周囲からも認められ才能が開花。SGグランプリ前までのSG・GⅠ9節で5優出、残りの4節も全て最終日の特別選抜戦を走っていました。まさに当地でのGⅠ初Vがターニングポイントだったと言えるでしょう。そして、翌年にはSGグランドチャンピオン(丸亀)でSG初Vを成し遂げました。現在に至っても超一線級として進化を続ける不動のエースに注目です。